なんとなく懐かしい空気。
戦後、
日本も我が家も貧しく、
まだクーラーも何もないころ、
開け放たれた暗い家屋の中から、
涼しげな緑をぼんやり見ていた幼いころを思い出す。
そういう季節がまたきたね。
風太は
過ごしやすい居場所を探し求めて、
うろうろ家の中を移動している。
なんとなく懐かしい空気。
戦後、
日本も我が家も貧しく、
まだクーラーも何もないころ、
開け放たれた暗い家屋の中から、
涼しげな緑をぼんやり見ていた幼いころを思い出す。
そういう季節がまたきたね。
風太は
過ごしやすい居場所を探し求めて、
うろうろ家の中を移動している。
風太、久しぶりに登場。
名古屋は連日33、34度と蒸し暑い。
北アフリカ産の乾燥地帯出身の猫クンたちにとっては、蒸し暑いのが苦手。
モロッコやリビアのような地中海性の乾燥した暑さならともかく、
湿潤気候はびっしり毛が生えた身体にはたまらない。
猛暑の日、猫クンがくつろいでいるところが家の中で一番快適な場所とはよく耳にする話ではあるが、
日中、風太も思わぬところで休んでいたりする。
石の廊下は体温を奪ってくれるので、よく横たわって体を冷やしているよ。
小顔だけど、随分大きくなったでしょ。
5キロを超えないように注意してます。
講義棟横の緩やかな斜面には一面、背丈の高いタンポポが咲いている。
しかも、一か月前から咲き続けている花は枯れる気配すらなく、
地上15センチから20センチの中空に黄色い花の面を作り、
大地との間にできたわずかな空間に表情を与え、透明感を出している。
新緑の季節、草花はこの世の春を謳歌しているが、
まさに早春から初夏にかけての季節そのものが、
人類が奇跡の天体地球上に存在し、神に代わって失敗と成功を繰り返しながら、
試行錯誤の末、淘汰されるべき可能性を追求している状況によく似ている。
いま、われわれ人類は旺盛な生命力をもって初夏を迎えようとしているのだ。
だが、瞬く間に厳冬が到来する。
その予感を遠く薄らと感じながら、
それでも、楽天的にこの世を賛美しながら終えていきたい。
ぼくが四十数年前、受験生で訪れたときには、
このあたり一帯に、ほとんど樹木らしいものはなかった。
当時、植樹した楠、欅、ブナ、楓などの木々が、植樹した人々の期待に応え、立派に成長した。
建築物と自然が作り出すキャンパスは堂々とした風格があり、他に類例のない見事な景観を作っている。
それをあまりに恵まれすぎているぼくらは忘れてしまっているのかもしれない。
(2011・6・10 携帯電話のカメラで撮影)
風太はお隠れ。
いまは外来者の前にはまったく登場しなくなってしまった。
それはそれで仕方がないことである。
今日はかつての同僚の友人夫婦が遊びに来てくれた。
新しい命の誕生はいいな。
新しい空気を吸って、ぼくらにはわからない匂いや物音や光景を敏感に感じ取って意識や感性が育まれていくのだね。
遷都クン!奈良に行ったとき可愛いから買って帰ってしまっておいたものを、
二人の友人の結婚式のプレゼントとして贈ったら、
生まれてきた碧(あおい)クンが大気に入りのようで、
双子の兄弟か親友と間違えているのかと思うほど身近に感じてくれているようでうれしかった。
頭にカステラ菓子のようなふわふわな鹿の角が生えた、赤ん坊のようなお釈迦様、
そのギャップ観とおおらかな視点が遷都くんの特徴だ。
最初は不人気、
実は、頭のお硬いお偉いさんたちの常識的価値観と事なかれ主義、つまらない道徳観だか倫理観が、そのよさを認めなかっただけである。
平凡で常識的なお人形さんなど、もうひとつゴミが増えただけである。
遊び心で作ったのものを遊び心で買って遊ぶものだから、気楽に楽しめるグッズでいいよね。
たかが、お人形のことではあるが...一事が万事。
碧クンも未来を見据え、新しい言葉で何かを語ってくれるだろう。
ぼくら旧世代もそれなりに生きてきたのだから、まだこれから頑張らないとね。
また、みなさんで遊びに来てください。