広い大学のキャンパスを自由に走り回っていた0歳児りきは、いまマンションという箱型の人工的空間において新しく出会った二人の人間と、一匹の猫と共に生きることを求められている。りきは、適応力があり、たくましい猫である、風太とは全然違う、とぼくも妻も信じ切っていた。その認識に間違いはないと思うが、今朝から急に脱毛が始まった。自然に抜けるというより、痒いのか、激しく爪で引っ掻いてかきむしり、そこが束になって脱毛するのである。丸く皮膚が露出。早速、夕方、先生に診てもらいにいったところ、どうも皮膚病ではなさそうだ。何であるかこの段階で結論を出すのは難しいとのことだが、どうも、可能性として高くあげられるのが、ストレスであるということで、ぼくも妻も驚いて顔を見合わせてしまったが、ぼくの方はいち早く納得できた。いままでの家族である風太の変調を気にし、過敏になっていたら、何と!逞しいと信じていた力丸の方が(も)ストレスを抱えていたというのである。それもそうだ、ぼくらが気づかなかっただけで、力丸なりに随分頑張っていたんだということがわかった。まだ脱毛の原因がこれで判明したわけではないが、とりあえずは、力丸に可能な限り自由を与えないと可哀想だ。あれはいけない、これもダメ、マーキングに注意しないと...そう要求される力丸の方はたまったもんじゃないね。徐々に人間社会に慣れてもらうとしても、ここしばらくは、いまだからこそできるんだが、力丸にリラックスしてもらわないと。勉強になったよ。この写真は一昨日のもの、なかなかの大物である。不安な動物病院では、すっかりぼくらを家族、保護者と頼ってきたところが可愛かった。(H)
2012年2月アーカイブ
広い大学のキャンパスを自由に走り回っていた0歳児りきは、いまマンションという箱型の人工的空間において新しく出会った二人の人間と、一匹の猫と共に生きることを求められている。りきは、適応力があり、たくましい猫である、風太とは全然違う、とぼくも妻も信じ切っていた。その認識に間違いはないと思うが、今朝から急に脱毛が始まった。自然に抜けるというより、痒いのか、激しく爪で引っ掻いてかきむしり、そこが束になって脱毛するのである。丸く皮膚が露出。早速、夕方、先生に診てもらいにいったところ、どうも皮膚病ではなさそうだ。何であるかこの段階で結論を出すのは難しいとのことだが、どうも、可能性として高くあげられるのが、ストレスであるということで、ぼくも妻も驚いて顔を見合わせてしまったが、ぼくの方はいち早く納得できた。いままでの家族である風太の変調を気にし、過敏になっていたら、何と!逞しいと信じていた力丸の方が(も)ストレスを抱えていたというのである。それもそうだ、ぼくらが気づかなかっただけで、力丸なりに随分頑張っていたんだということがわかった。まだ脱毛の原因がこれで判明したわけではないが、とりあえずは、力丸に可能な限り自由を与えないと可哀想だ。あれはいけない、これもダメ、マーキングに注意しないと...そう要求される力丸の方はたまったもんじゃないね。徐々に人間社会に慣れてもらうとしても、ここしばらくは、いまだからこそできるんだが、力丸にリラックスしてもらわないと。勉強になったよ。この写真は一昨日のもの、なかなかの大物である。不安な動物病院では、すっかりぼくらを家族、保護者と頼ってきたところが可愛かった。(H)
うちの職場の同僚には猫好きが多い。秦さんもそのひとり。秦さんは日本画の先生だ。上の写真、クウくん・カイくん、二番目が、リクくん・クウくん・カイくん、最後のがリクくん。目が森の奥の湖のようできれいだね。リクくんは、うちの新しい家族になった力丸と同じ、大学に捨てられた子猫を持ち帰り育てたもの。二番目の写真の成長ぶりを見ると、家族の温かい愛情によってすくすくと立派に育ったことがわかる。先日、会議の合間に猫談義で盛り上がり、普段は人間社会の片隅で肩身の狭い思いをして生きている猫くんが人間の会話の真中に座り、話に花を咲かせてくれたよ。油絵の寺内さんも大の猫好き、いまは事情があって飼えないけど、猫の心がよくわかり、人間でありながら猫の視線や心を忘れていない。芸術学の熊田さん、熊田さんはいままでに十数匹も飼った経験があるらしいけど、寺内さん同様、事情あっていまは猫のいない生活を強いられているようだが、ぼくにはどことなく寂しげに、また、飼える条件の人に対しちょっとうらやましそうに見えたよ。多いときには、猫トイレが7つ並んでいたそうだから壮観だっただろう。よく自分のトイレを間違えずにできたもんだと感心するね。寺内さんも熊田さんも女性の先生だ。秦さんは男だよ。みなさん芸術家であったり芸術を扱う研究者であったりするが、猫くんと向かい合うと、自分の中にあるそういう境界が取り払われ、気づくと、はるか昔に飛び出したはずの「楽園」に戻った気分になり、人間にまで「進化」してしまったのに、自分も一向に変わっていない、愛情に飢え、やきもちを焼く可愛い動物の一種であることがわかるんだよね。ぼくは人間である以前に猫であった!ここにこうして一緒にいることを望む気持ちはまさにそんなところにあるのかな。日本中に、いや世界中に猫と同居しながら、人間社会の中で生活するときにはそんな気配を微塵も見せず、心を開けば、そこには心温まるにぎやかな猫社会があった!などということが多いのかもしれない。去勢され、避妊手術され、子孫を作れない猫が一代で終わっていくが、猫は絶滅しないのだろうか。ときどき、マジに心配になる。うちの可愛い風太には子孫ができない、やむ得ないがしかし罪なことでもあるね。楽園で再会!などと勝手なことを言いながら、彼らから楽園的存在を奪っている。こういう話は、この辺にしよう。そうそう、デザイン専攻の長谷さんも、一匹ロシアンブルーを飼っていると、会話に加わってきたけど、携帯の画像を覗くと不思議な顔のチャーミングな猫くんだった。猫飼っていると聞くと、その人の見え方が変わるのも不思議だね。それから、ロシアンブルーは、音楽学の安原さんもモスクワ時代に飼っていたらしいよ。写真を見せてもらったことがあるが、美猫。まだまだ知らないだけで、うちの職場には猫を飼うたくさんの教員がいるだろうと思う。またわかったら、載せるからね。それから、追伸として、猫を飼っているのではなく、猫である教員も何匹かいると聞くけど...それは、厳密には猫ではない。(H)
風太と力丸の格闘。じゃれ合いが高じていつしか本気の喧嘩になることもあるが、それでも絶対に力いっぱい噛んだり、爪を立てて相手の顔や目を傷つけたりはしない最低のルールがある。風太がいつも寝ていた場所は、いつしか力丸の指定席となって久しいが、今日は、最初寝ていた風太がいつものように奪われた後...最近では本気になる前に、風太の方からさっさとその場所を譲渡し、どこかへ消えていくのが常だったのであるが、今日は戻ってきて戦いを挑んだ。意地を出したのか、腹の収まり具合がよくなかったのか、格闘が始まった。最近、気づいたことだが、絶対的力と運動神経は風太がはるかに上であるのに、喧嘩慣れしていないというか場数を踏んでいない風太は、力丸に抑え込まれ、乗っかられ、まいった!となるところ、この頃は、風太も戦い慣れてきたせいか、形勢逆転し始めてきているのだ。いま、こうしてブログを書いているとき、本棚の上の仏壇の上に乗った力丸を、風太が上っていき、威嚇し、猫パンチを食らわせ、退散させた。この家で最も高いところ、そこへ力丸が乗って風太を睥睨するのを許さなかったのだ。写真の、二匹、なかなか頼もしいよね。最後の二枚の、力丸の顔、しばらく前の風太のように、下になって喘いでいるが、力丸の顔、なかなかのものであると感心したよ。こうして二匹は強くたくましくなっていくんだろうね。力丸の雰囲気、だんだん家猫のようになってきた。(H)

今日は写真が多いよ。
最初のは、力丸がくつろいでいる姿。力丸が大学にいたころは、人間のテリトリーを侵さなければ、それなりの自由はあった。食料や寝床の確保さえできればの話であるが。しかし、そんな環境の中で、叱られたり厳しく追い払われたりして教えられたことがあるだろう。そう、大学内は猫が人間専用のスペースに入ることは禁じられている。その習慣がまだ抜け切れていない。つまり、ぼくが何か注意したり禁止するとき発する声色を敏感に感じて、すばやくぼくから逃げようとするのである。だから、あまりきつく注意したり、叱ったりするのは控えなければならない。②これは窓から景色を見ながら日向ぼっこをしているところ。どちらが風太で、どちらが力丸かわかりますか?そう、左の方が新参者の力丸。右のお兄ちゃんである風太に、何かを教えてあげているかのようである。
③④⑤⑥⑦は、午前中、ケージの上の座布団の上で、ふざけっこ。運動神経、力は互角かやや風太が上である。しかし、闘争本能と、何が何でも手に入れようとする欲求の強さと渇望感においては、大人と子供。箱入り息子の風太は猫同士で戦ったことがないだけに、弱い。いや、戦わないでも生きてこられたのである。弱い自分が情けなくなり、沈んだり、ふて腐れたりすることが時々ある。これは、だが、仕方がない。動物が楽園に住み、禁断の実を食べた人間だけが人間社会を形成して生きていく宿命を背負ってしまった。だから、逆に、楽園を忘れた人間は猫くんたちの世界のルールを黙って見守らなければならないともいえる。自然を大切にするということは、基本的にそういうことである。ある程度は見守らないと、彼らの自由と自然の摂理を否定してしまうことになる。⑦の最後の写真、互角の戦いの末、やっぱり、風太は押さえこまれてしまった。風太の情けない顔が見えるだろうか。無言で喘いでいる。力丸は甘えたいしじゃれ合いたい。一喜一憂しながらも、確実に友情が育まれていることは確かだ。(H)
朝、6時半ころ、日の出。東の空に明るさが現われる。ほっとするね。風太は木、金とおかしかった。突然、元気がなくなり、物を食べず、虚空をぼんやり眺めているか、目を閉じているか。元気な力丸に付き合う気力がないばかりか、極端に避けている。体調が悪い原因はなんだろうか。金曜日、東山動物病院に連れて行ってみてもらい、血液検査もしてもらい、とりあえず雑菌の感染の疑いの可能性を前提に抗生物質を打ってもらった。(力丸は二回目の寄生虫の駆除の処置)。その夜から、食欲が少し戻り、物を見つめる視線が強くなってきて、いまは元気が戻ってきている。今日も朝4時半から二匹の猫くんに付き合っている。朝のぼくのトイレで感づかれ、「腹減った!」と力丸がアピールしだす。それを無視しようとすると実力行使。もう寝るどころではないので、根競べをする前に起きてしまうことにしている。食事、それぞれ二回ずつ、計4回のトイレの世話、・・・連日。自ら欲してやったこととは言いながら、なかなか辛いものではある。しかし、ここで根をあげたら負け、ぼくはそう言い聞かせながら、猫にうずもれて執筆を続けている。本の山、猫の動き、集中を絶やしたらそこでおしまい、頑張らないとね。今日は、猫の写真じゃなくて、ぼくが癒された朝の東の地平線から昇る太陽の予感がする景色を載せます。薄暮、夕暮れの空は、イーグルスの『ホテル・カルフォーニア』を思い出します。好きだったな。(H)
もうこうなると、すべては出来合いレースであったかのよう。もろもろの心配も杞憂であった。とはいいながら、動物だからときにバトルはある。縄張り争い。たとえば、一番お気に入りの昼寝用休息ボール箱。ここは互いに譲れない、いつも争いの場。じゃれ合いの域を超え、喧嘩に近いバトルがあって、どうにかこうにか風太が奪うが、それでも、風太がいなければ、お先に失礼とばかりに、平然と丸まって熟睡に入る。そうなると、風太はただ遠くから見ているだけ。つまり、争いになるのは先に風太がいるときに、どけ!と力丸が進入してくるときに限る。まだ、決着はついていないが、安心できるのは、そんなときでも、甘噛み、爪を立てて相手の目を攻撃したりはしないところ。そんな状況は当分続くにしても、今日は、進展があった。ボール箱に寝る力丸を後ろから風太が、排除のためにではなく、じゃれ遊ぶために入り、このようなちょっと恥ずかしい格好で、じゃれ始めた。初めて、風太が力丸を舐められるようになったのである。ぼくの手などは舐められるのに、力丸を舐めることができず、力丸は甘えて舐めてほしかったのに。だから、大きな進展。案ずるより産むは易し、などと書けていることを嬉しく思います。ありがとう、神様(自然のこと)。(H)
今日も朝4時台からおつきあい。お腹すかせてる力丸、大食いで、学食の前で食料を確保するのに必至だった力丸、やや胃拡張気味。体重も4.5キロもあって、過酷な環境の中にあってよくこれだけのカロリーを摂取できたもんだと感心もする。半面、炭水化物中心で栄養が偏っているうえ、塩分を取りすぎたため、家猫の風太に比べれば毛の艶がよくなく、長さ密度にばらつきがある。トイレに起きるぼくを逃すはずはなく、スヤスヤ安眠かと思いきや、突然、ギャー、ギャー、「腹へった!」と大げさにアピール。仕方がない、風太には早めだが、朝食を与える。一瞬にして食べ尽くす野生の習性がむき出し。まだ足らないと、出向いて風太の餌を横取りしようとする。それじゃあ、風太が可哀想だし、いつまでたっても力丸の体重は減らない。その時点で、餌は取り上げ、風太だけ寝室に移動させ、そこでゆっくり食べさせる。ぼくはパソコンをダイニングルームに移動して、仕事開始。ダイニングルームは、ケージ、食卓、床と卓上に広げた本の山、環境の激変に人間の生活様式は崩される。でも、猫にばかり構ってられない。昨日と一昨日は院の入試。学生は構内に立ち入り禁止だから、猫くんたちの食糧事情はきわめて過酷。ぼくは力丸の幻影を求めて、夢遊病者のようにそこに在りし日の姿を思い浮かべ(探し求め)ては、うちに連れて行ってよかったと現実に返り、自らを納得させる。さて、写真。この二枚は携帯で撮ったもの、動きが速いから手振れではないがぼけてしまう。ハラハラドキドキ、甘噛みなのか、本気なのかわからず、いざというときには阻止しなければならないと身構えて見つめた。今日はぼくは二つの感動的なシーンを見たよ。一回は、この二枚の写真のシーン。上の写真は、互いに相手の肩の上あたりを甘噛みしながらもつれ合って戯れている。頭部が一体化してしまっている。背中が見えるのが力丸、上を向いて両脚をばたつかせているのが風太。これはいま初めてのことではなく、一昨日あたりから徐々にその兆候を見せてくれていた。下の写真は、左に悠然と四肢を伸ばしているのが風太。力丸は早くもどこかに立ち去ろうとしている。気分転換の速さは、ここでも両者抜群。このように二匹は確実に仲良しになりつつあるよ。もう一回驚かされたことは、風太が寝ていたボール箱を奪おうと力丸が睡眠中の風太を襲ったこと。それは凄まじかった。人間的なルールでは、これは明らかに力丸が悪いが、縄張り争いが、突如、仲睦まじい関係にも目を覚ます。寝た状態でがぶり四つになり、格闘。最後、風太が両脚キックで顔の辺りを引っ掻き、勝負は決着。力丸はすごすごと隣の力丸用のボール箱に移動し、丸く横たわっておねんねでおしまい。そんな激烈な闘いでも、互いに爪は立てず、本気で噛んでいなかった、それを知ってぼくは安心した。まだまだいくらでもあるけど、とりあえず。さ、ぼくもそろそろ本腰を入れて自分のことに集中しないとね。所詮、猫くんの世界の話だ。
愛知芸大の学生さん、ここでひとまず、事後の報告の終息とさせてもらいます。いままでどおり書きますが、いつも、大学でいままで力丸にかかわってきてくれたみなさんのことが気になっていましたので。(H)
力丸は病院。風太はのんびり。風太の内心はわからない。心なしか寂しいのか、それとも、清々しているのか。動物は、いずれにしても新たな環境にすぐに適応していかなければならない。肉親との別離、死別、違った環境へと強いられることだってあるし、動物は、それが動物園の檻の中でさえ、生きていかなければならない。感傷的になってもすぐに切り替えないとね。どこにあっても、食料を確保し、安心して寝ることができる場所を探し、今日をとにかく生きることが大前提なのである。風太は待った。手術が済み、夕方6時、まだ麻酔薬が効いていて、腫れぼったい顔した力丸が帰宅。ニャン・・・ニャン・・・と小さな声でたまに鳴くが、どこか甘えた声ではある。力丸にはもう帰るところはぼくの家しかあり得ず、そこに戻れることを心待ちにしているかのようだ。帰宅しても「お帰り!」もなく、しばらく、奥の座敷の押し入れで睡眠中。風太も疲れたもんね。我が家はみな睡眠不足。帰宅を知ってか、気づかずにか、そのうちのっそり出てきて、二匹はなんとなく一緒に行動。まだ、先に行くのは力丸で、風太は慎重に、そろりそろりとついていく。でも、変化があったよ。もう、吠えず、唸らず、顔が接近しても遠慮がちの緊張感がある。鼻と鼻が軽く触ったりもした。いま、風太はこたつの中でテレビを見る妻と一緒。力丸は、風太の昼寝用の寝床を占領して、そこでグーグー寝ているよ。風太はそれを放置できる余裕が出てきた。力丸の背中を軽く触ったら、腫れぼったい目を開けて、ニャン!と口を小さく開けて甘えた。力丸は甘え方を知っているんだね。今晩はしばらくこのままにしておこうかな。手術で疲れたんだろう。力丸は生まれ変わろうとしている。(H)
知らない人間同士が、同室に入れられ、一緒に仲よくしなさいと言われても、多分、難しいだろう。だから、猫も基本的には同じかもしれない。そこを人間(ぼく)は十分考えずに、「さあ、仲よくしなさい」と思っているところがある、いや、あった。だからといって正当化されることではないが、少しずつ、確実に、紆余曲折はつきもだとしても、二匹は狭い空間の中で、共存しようと模索し始めている。ありがとう、風太、そして、力丸。上の写真は、今朝、まだ早朝の6時。二匹が吠えずにご対面。下の写真は、風太の昼寝の寝床にちゃっかり入った力丸を、寛容に認め、怒らず、悲しまず、ふて腐れて押し入れで寝ず、平然?と隣に座っていることができたお利口な風太。明日、力丸は動物病院で中性化されるけど、今日は、障子にスプレーをしてテリトリー確保をし出したし、この連続する鳴き声では、それもやむ得ぬことと思う。ここでは人間との共同生活も余儀なくされるから。結局はその方が幸せ。(H)
1 パンチの応酬
2 力丸、風太の寝床占拠。風太、茫然自失。
3 力丸、我が物顔で箱型ベッド、満喫。
風太、唖然。
4 力丸、完全にくつろぎの態勢に入る。
5 風太、好奇心からか、諦めてか、ふてくされてか、力丸のいないケージを探検?
この写真のどこにも風太と力丸はいない。しかし、この光景に力丸の幻影と残像はある。早朝の、まだ学生もあまりいないキャンパスの、学食の前の草むらの、いちばん奥、すなわち、講義棟にいちばん近い生垣の中から4匹の猫くんが、ぼくが握った猫の餌の香りを嗅ぎつけて、求めて出てきた。そう、いつもなら、この中に力丸も交じっていた。力丸が仲良くしていた片方の目を失明してしまった猫くんは、全く同じ毛色、やや大きめの兄弟と一緒にいてくれたので、ほっとしたよ。力丸を持ってきちゃったから、いつも後ろ髪引かれる思いがしていた。みんな、草の上に置いてあげた猫の餌をがつがつ食べていた。いつもなら、力丸もここにいて食べていたんだよね。こっちの塊は、三匹いるんだけど、密集しているのと、向こうの二匹が毛色が同じなので区別がつかず、一匹にしか見えない。今日の我が家では、ぼくのいないうちに、昨日までとは打って変わり、風太と力丸がいがみ合わずに同じ空間にいられるところまで来たらしい。いままで猫と接することもなく、臆病な風太は、臆病ゆえに、自己防衛的に先制攻撃をかけてしまう。いい感じで近づくのだけど、突如、猫パンチ!!!それが気になっていたが、今日は、少し猫と接することができるようになってきたみたい。自分は人間だと思っているから、同じ猫に対して苦手意識をもっているが、どうやら少しずついい感じになってきたのかもしれない。今日は、風太と力丸の写真はなし。力丸の故郷、冬の愛知芸大で逞しく生き抜く4匹の猫くんの姿を見てください。(H)
風太と力丸。ケージの上に風太、中に力丸。みなさんには初めての二人そろってのお披露目。至近距離でこうしていがみ合うこともなくいられるようにもなってきた。しかし、たまに火花を散らし、威嚇し合うこともあり、引っ込み思案の風太が、ケージの中から手を差し出した力丸の腕に、猫パンチを食らわせたりする。要するに、親しくなろうという気持ちと裏腹に、経験がないこともあり、ぼくが先住者だと誇示するのか、つい手が出てしまうのである。朝、夕方、二回、このような至近距離からのご対面をしたけど、室内が温かいせいか、思春期間近の力丸は自分では律することができない体内の奥底から湧き出るオスとしてのエネルギーのようなものに支配されるようになってきた。急に、ひっきりなしに、動物的な声を発するようになってきたのだ。近いうちに、去勢手術をお願いしなければならないだろう。被去勢猫で温和な風太はこのままでは、二歳年上とはいいながら、男っぽい力丸に圧倒されてしまいそうだから、同一空間で共存できるようにそれも致し方ないと思う。はやく、ケージから出して、自由に室内を歩き回り、風太と共存できることを願っているよ。この二匹のどことなくうつろな眼差しに輝きが現われる日が見たいな。(H)
上の写真は力丸、リッキー。下の写真は風太、ふうたん。対照的でしょ。力丸は風太を上から睥睨しながら威嚇し、風太は、懸命に仲良しになろうとしてケージに近づき、見つめながら合図を送っているのだが、過酷な環境で生き抜いてきた逞しさを有する力丸の方がしたたか、上手であるように見える。ケージから出せば、風太は、最初は睨み合い、そのうち、尻込みして、和室の押し入れの中にお隠れ。このパターンがずっと続く。風太、がんばれ!すべてはおまえさんにかかっているのだよ。
顔つきは随分違うが、身体格好や毛の模様がよく似ていて一瞬、間違えてしまう。さっきは、のそのそぼくの書斎まで進出して慣れた格好で動き回る力丸を、ぼくは風太と思って机に向かっていたほど。
夕方、ケージに力丸をもどすと、どこからともなく風太が戻ってきて、懲りずに、何度も、ケージに接近して、仲良くしようと合図を送っている。力丸は、無視しているか威嚇するか、まだまだ彼らがじゃれ合ったり、一緒に室内を走り回る日は遠い。そして、風太はうちの子、力丸はもらってきた子、その意識がぼくから消え、彼らがともにうちの家族、兄弟に感じられるようになる日が来るまでも、もう少し時間がかかるかな。(H)
今日二度目のブログ更新。左側の写真は、手前「力丸」、奥「風太」。力丸を運動させるためにケージから出した瞬間、押し入れの奥底にお隠れになってしまった風太。いつまでも隠れて出てこないので力丸をケージに戻した。そしたら、和室の扉越しに風太が出現。扉に接するくらい近づいて、廊下の方をうかがっている。力丸をケージから出し、ご対面を試みる。睨み合い、唸り合い、初対面の時の、あの激しい音声ではないが、張りつめた緊張感が漂う。こちらの力丸を見据えながら、やがて、風太が尻尾を軽く左右に動かしているのがわかる。余裕か。風太は世間知らずの箱入り息子ではあるが、二歳年上の貫録と、それなりの経験がある。その余裕のようなものを漂わせているように、父親のぼくは感じた。唸り合い、睨み合いは15分くらいは続いただろうか。力丸が背中を向けて、後ろにあった爪研ぎに乗り、そこに座りなおした。ぼくの軍配は、風太に上がったが、果たして本当のことはもう少し様子を見ないと分からない。風太も、こうして見ると立派な青年になったもんだ。もう一枚の写真は、実はその少し前、力丸が風太が日中、休憩用に使用している箱を自分の寝床にしようとしているところである。風太を知っているみなさんには、この写真が一瞬風太に見えたかもしれない。しかし、よく見ればその違いがわかる。白と薄茶色の模様はよく似てる。しかし、薄茶が山吹色がかっているのが風太、マロングラッセのマロンのような栗毛色が力丸。そして、決定的に違うのが、目。目の格好と眼差し。風太の目はまんまる。世間知らずでお坊ちゃん。力丸は、キャッツアイ、加えて、かなり透徹した視線。厳しい自然環境と、猫6匹、タヌキやイタチなどの外敵の中で、産み落とされてすぐのときから生き延びてきたしたたかさと、生きる厳しさを知っている、100%信頼を寄せない距離感をもっている。両者のこの距離は決して小さくはない。さて、これからどうなるのだろうか。いま、力丸はダイニングルームのケージの中ですやすやお休み。風太は夕飯を与えても食べないまま、いま、写真に写っているあの箱の中で、時折、ケージの中で動いたり小声で泣いたりする力丸を監視している。目は穏やか。だから、心配はいらない。(H)
新しい家族の猫くん、一日付き合って、何回も名前を読んでみたけど、どうもしっくりこない。好奇心が強く、現代っ子的、きりっとした表情、この子に、「まろ」という音が合わなかった。「まろくん」「まーくん」「まー」いろいろやったけど、ちょっとピンとこず、呼ぶ側に平安貴族の古い時代のイメージが付きまとい違和感があった。その結果、「リッキー」「リキ」と呼ぶことにした。戸籍上は「力丸・リキマル」である。
何回か呼んで、響きもよく、顔や姿、身体の動きに合っていたよ。「riki」、「fuu」、母音がiiとuuとなって二匹の音の響き合いもいい。ところが、肝心の風太と力丸の関係がなかなか思うようにいってくれていない。といっても困り果てているわけではない。風太の方がナーバスになって、今日も、ケージの扉を開け、力丸を撫でてやっていたら、こっそりダイニングルームを抜け出し、押し入れの奥底で固まっていた。猫は軽いから引っ張り出せば出せるけど、いわゆる、てこでも動かない状態になっているのだ。目は無表情に虚空を見つめ、家族であるぼくを他人のような視線で見る。嫉妬、いや、憎しみの感情すら交じっていて、無言の抗議に感じられたよ。でも、ここまできたら簡単に後へは引けない。気長に二匹が仲良しの兄弟のようになるまで頑張らなければ、そうは思うものの・・・、外から昨晩入ってきたばかりの力丸の方がまるで我が家を歩き回る家猫のよう。風太が押し入れで震えている間、放したダイニングを出て、キッチン、バスルームまで悠然と物色している。学食前の草むらの上で戯れていた猫が、文明的な空間の中を物怖じひとつしない。この逆転現象!の前に、いくら強気になろうとしてもさすがぼくには無理。
しかし、力丸をケージに収めしばらくしていたら、用心深い風太がのっそり現われ、ケージの外から中の力丸を観察する余裕が見られたので、少し安心した。一進一退、一喜一憂していては猫も人間も体が持たないので、長期戦に備えることにした。ただし、とくに、気弱で傷つきやすい風太をフォローすることを忘れないようにしないとまずいね。力丸は、頭脳明晰なやり手の営業マンという感じで、どこでもそれなりに逞しく生きていけるタイプのようだったから、ぼくはとくに、当分は風太のケアをしたいと思う。写真は、今回は風太ばかりですが、今日の臆病でそれでいて新参者が気になる風太の様子を見てください。風太は必死に生きています。(H)

愛知芸大の学食前によくいたカフェオレのような毛色の猫くんを可愛がっていたみなさんへ。昨日のメールに経緯と決意を書いた油画教員小林英樹です。昨日は処置、検査後、動物病院に預けました。今晩は、もう我が家の一員になっています。名前が決まりました。「まろ」です。病院でくれる袋には「小林まろ様」と書かれます。
呼び方はそれぞれでいいと思うが、風太が「ふうたん」、多分、まろは「まろくん」となると思う。
いま、夜の7時、今日一日は長かった!!!
心配の連続の上、ハイエースにケージなど必要グッズを買いに行ったときに、coco一番の激辛カレーを食べてしまったせいもあって、空腹感がない。
しかし、いまようやく何とか落ち着けた。
写真左が、早速、時折ニャーーン、ニャーーンと鳴きながら我が家を闊歩するまろ。
ちなみに、そのとき、御曹司、風太はいつのまに隠れたのか、押し入れの奥底に身を潜めて異変に目をぎろぎろさせて心臓を高鳴らせ凍りついている!
ぼくが思い描いた最悪のケース。
繊細で臆病で傷つきやすい風太は、こういう異変に耐えられるのか?
ぼくの迷いの大半はそこにあった。
ぼくの目は元気よく歩き回るまろを追いながら「慣れてよかったね」などと妻に語りかけ、喜んだ振りをしながら、胸中はうつろ、思いは押し入れの中で怯えている風太のこと、だが、それが杞憂でありそうだということがしばらく後にわかったよ。
ダイニングルームはぼくらと風太のたまり場、机の上にある手頃な段ボール箱で日中風太はうたた寝をしている。
そのダイニングルームにケージを置き(写真右)、まろは抵抗もせず収まってくれた。
それから30分後、風太は自分のとった行動がいささか恥ずかしくもあったかのような感じを漂わせて何食わぬ顔で入室。
その後、布で大半を覆った隙間から中にいるまろに気づいた風太が覗き込み、睨み合い、そのうちに互いに激しくふいて威嚇し合った。我が家のダイニングルームで、いまだかつて聞いたことがない動物の迫力ある叫び。(なかなか壮観!)
(右写真は、ケージの横から覗き込む、少し余裕が出てきた風太)。
これは、動物の世界のしきたりみたいなもんで、外から見ているとどうなってしまうのかという真剣勝負の火花が散るが、それもひとしきりすると、今度は不思議な音色の唸り声を双方が発し始め、きれいにはもっているようにも聞こえた。
ぼくら人間は想像するしかできないが、ぼくには挨拶を交わし、これからこの空間で一緒に生きていく手探りをしているように見えた。
雅楽のような心地よい響きが、時間をおいて何回か繰り返されているよ。いまここだけでしか聞くことができない運命的な出会い。風太とまろの。合唱のような。
このままいけば、意外にすんなり家族の一員になれるのかもしれない。
とりあえず、いただいた猫くんの報告をしました。ぼくは来年いっぱいで退職しますが、まろはその後5年くらいは名古屋にいるはずです。その後はどこへ引っ越すのかわかりませんが、まろはぼくとずっと一緒に暮らしています。まろは寒さとひもじさに耐えてここまで頑張って生きてきました。それに比べたら、マンション暮らしは温室のような快適さです。みなさんがここまで生かしてくれた猫くんは、まろという名前で第二の人(猫)生を送っていけそうです。この選択がよかったかそうでなかったかは神のみぞ知るですね。じゃあ、また。(H)
この冬一番の寒さだった。名古屋市内でマイナス5度、内陸の長久手はそれよりずっと冷えたはず。寒空の下、7匹の野良猫たちはほとんど野宿状態。だが、彼らは愛知芸大キャンパスに逞しく生きている。その一匹、まだ名前はないが、生後半年余りが経ったオス猫をぼくはいただいてきた。ちょっと前にブログに載せた猫くんだ。
もう一匹片目が失明してしまっている仲良しの毛の長い黒と茶のブチの猫が学食の前にいた学生たちから魚肉ソーセージをもらっていた。とにかく、この寒空の下で生き抜くには、カロリーを少しでも多く摂取しなければならない。
第一難関の冬休みを生き抜き、いま第二関門、酷寒の野宿を耐え、そして、これから迎える、学生の立ち入り禁止期間、入試が始まる。食料の提供者が激減し、寒さは相変わらず残る。そのなかで何匹の猫が生き残れるのだろうか。しかし、その関門を乗り越えられれば、温かな春がくる。病気にかからなければ何とか初冬までは生きながらえることができる。もっとも、夏休みは、極端に食料の供給が減るので厳しい。しかし、寒さが加わらないので、だましだまし生きることは可能だ。
そこしか知らず、そこで戯れる猫くん、捨てられてからそこが故郷であるこの環境に、劣悪とは言いながら、そのまま残すべきか、あるいは、ぬくぬくした人工的環境の我が家に連れて帰り寿命を延ばしてやるべきか、ぼくはこの判断に最後まで迷い悩んだ。天寿を全うするとは何なのか?
そもそも、この思いが頭に浮かんだのは、学食前のベンチで座るぼくの膝の上に二日続けて乗ってきてちゃっかり座ったことに端を発するんだが、何か運命的な出会いを感じてしまったのであった。その気持ちが徐々に高じて酷寒の今日に至った。今日が凍てつく寒さであったことも一要因なのだ。
今日、学食前にいた猫好きの、しかもこの猫くんに餌をあげることを大学での楽しみの一つにしている女子学生たちと少しだけだが話をし、彼らにぼくの迷いと意思を告げると、彼らがぼくの自宅で飼うことを温かい気持ちで後押ししてくれた。その結果、迷いがあったぼくは行動に移れたのだ。「もらい手ができてよかったね」と猫に語りかける方法で、ぼくの迷いと躊躇を吹き飛ばしてくれた。
動物病院での検査の結果、心配していた白血病、エイズ、いずれも大丈夫だった。ほかのウィルスにも侵されていないようで、居住空間に同居すること、猫の風太に悪い病気がうつる可能性は非常に少ないことがわかり、我が家で飼うことにした。肝臓、腎臓など臓器の機能は非常によく(風太よりもいいかも!)、あの劣悪な環境を生き抜いてきた猫であることを証明してくれた。
猫くんが悪い病気にかかっていないことは、愛知芸大の猫に悪い病気が蔓延していないことの証明でもある。厳しい環境は変わらないが、他の猫くん、よかったね。この猫くんは風太と一緒にあと20年くらい生き、ぼくが先に逝くかもしれないけど、ともに最晩年を生きることになりそうだ。ぼくは大学を去っていくが、この猫くんを見ると、必ず、学食前の草むらの上で遊ぶ姿を思い出し、2012年冬の愛知芸大のキャンパスを思い出すことができる。捕獲した時に、油画専攻の女子学生が「決定的瞬間を見ちゃった!」といって喜んで行った姿など、今日の夕刻の時間は永遠にぼくの頭脳の中でくっきりと残っているだろう。
この猫くんをかわいがり、餌をあげてくれた多くの愛知芸大の学生諸君、本当にありがとうございました。小林英樹が大切に育てます。これからは、このブログに、「ふうたん」「○○○くん」として登場しますから、たまに覗いてください。この写真は、東山動物病院の診察台の上に座った猫くん、珍しそうに室内をきょろきょろ観察していたけど、この猫くんは、新環境に動じず、そこでの身の振り方をしっかりわきまえ、堂々としていました。捕獲したときにはカバンの中で暴れましたが、外からやさしく何回か声をかけると、「にゃん、にゃん」と小さな声で何回か泣いたきり、静かになされるまま身を委ねていました。この猫くんのこと気になっている方々、ご安心を。(H)


長久手市も大雪に見舞われた。でも、たまにはいいね。いつも見慣れた景色が、一変に様変わりし、白銀の世界と化す。しかし、融けるのも早い。大地が冷え切っている北国の雪とはそこが違う。猫くんは相変わらず逞しく生きてくれている。いつも、「まがり」、あるいは「節子」と呼ばれている5歳になる猫がよく日向ぼっこをする手すりの上に、今日は、誰が作ったのか、二匹の雪像猫がいた。融けかけていたが、猫の雄姿が偲ばれたよ。もう一枚は、油画専攻のアトリエを出たところ、学生がここでも雪像を作っていたが、さすが、ここは芸術大学である。札幌の雪祭りとはまた違った味わいがある。作り上げたらあとは融けるに任せるだけ。そういうプロセスがあって、誰も見ないところでそれが完結する、そういう良さがあるよ。元気な学生に拍手!!!(H)
ちょっと風太に似てる猫くん。
この冬は、いつになく寒い。池の氷は日中でもとけず、池の底で小魚たちが息を潜めて春を待つ。食堂の前の草むらは捨て猫たちの束の間の人(猫)生の憩いの場であるが、早朝、霜が降りた枯草の上で猫くんたちの足の裏はどんなにか冷たいだろうか。今日、ぼくが朝10時半の休み時間に、食堂の前のベンチに座り、温かい烏龍茶を飲んでいたら、どこからともなく淡い栗毛と白の美しい猫がぼくの膝の上に乗ってきた。ぼくが手をまわして囲ってやると、顔をすりつけてニャン、ニャンとかすかに泣いたよ。捨てられる前は家族の膝の上で、ぬくぬくしてもらっていたんだろうと思と可哀想になっちゃった。風太はいつも甘えてぼくの膝やお腹に乗っていつまでもくつろいでいられるけど、この猫は、よほど人の温もり、柔らかい肌の感触に餓えていたんだろうね、向きを変えていつまでも乗っかって甘えていようとしたよ。風太にするようなことを一通りしてあげると、風太がするような反応をする。猫くんはみな同じなんだね。ただ、風太は家族以外にはなつかないけど、この猫くんは人懐っこかった。ぼくは、こっそりしまってある猫の餌を一握り草の上に置いてあげたら、夢中で食べていたよ。ここの猫くんはいつでも空腹。この冬の寒さに打ち勝ち、春を迎えられるだろうか。大学に捨てれば誰かが育ててくれるだろう、そういう考えは持たないでください。ほとんどがその冬、飢えと寒さで周囲の雑木林に入り込んで可哀想な人(猫)生を閉じてしまうんだから。ぼくはもう、そういう猫くんたちを随分みてきたよ。(H)







