トップページ > 色彩行為(造形活動)
2009/10
名古屋
愛知県立芸術大学
わたしは自らの中にある大きな流れに支配されながらも、新たな表現を求めている。たわいない周辺にあるきわめて日常的な事象に向かい合いながら、それをさらりと何事もなく描くことはできないだろうかという気持ちがあり、この夏は狭い周辺をうろうろ探し回った。ここにはきわめて観念的、記号的で単純なイラスト画としてイエスキリストと十二使徒が描かれていた。
[an apple cut into four pieces]のようにキリストも十二使徒もみなこちらを向いて笑っている。テーマには何もこだわりもなく、もちろんわたしはクリスチャンでないばかりか、ほとんど無宗教である。ただ、見慣れた構図の人々が意味もなくただ屈託ない表情で笑っているだけの顔が描きたかった。しかし、途中で自ら耐えられなくなり、教員展に出す前日、上から壊した。そう、いつものように、何もない行為の残骸が残った。それを丸ごとわたしは出品した。
[an apple cut into four pieces]のようにキリストも十二使徒もみなこちらを向いて笑っている。テーマには何もこだわりもなく、もちろんわたしはクリスチャンでないばかりか、ほとんど無宗教である。ただ、見慣れた構図の人々が意味もなくただ屈託ない表情で笑っているだけの顔が描きたかった。しかし、途中で自ら耐えられなくなり、教員展に出す前日、上から壊した。そう、いつものように、何もない行為の残骸が残った。それを丸ごとわたしは出品した。
2009/09
名古屋
不明
表現で最も大切なことは何であろうか。それは自分自身の要求に忠実であり、横道にそれたり、関心外のことをやったり、ただきれいに美しく描くことでもなく、何のために自分がそれをやるかが単純明快にわかることである。そういった意味において、わたしがこの夏にやった3枚の150号は果たして自分のものであるかどうかの判断がいまだにつかない。わたしは、とりあえず危険な冒険をやめることにした。まだ先のことはわからない。
[an apple cut into four pieces]を資料館に搬入した翌日、朝6時から23時までかけて、3枚のうちの1枚をつぶし、その上に、新しい作品を描いた。DEEDS of COLORSの範疇に収まるもの、自分の原点、出発点に矛盾しないもの。まさに、1983年神戸、トーアロード画廊でのことの再来。疲労感と爽快感。だが、わたしはそこから容易に外に抜け出せない。
[an apple cut into four pieces]を資料館に搬入した翌日、朝6時から23時までかけて、3枚のうちの1枚をつぶし、その上に、新しい作品を描いた。DEEDS of COLORSの範疇に収まるもの、自分の原点、出発点に矛盾しないもの。まさに、1983年神戸、トーアロード画廊でのことの再来。疲労感と爽快感。だが、わたしはそこから容易に外に抜け出せない。
2009/08
未発表
繰り返すことへの疲れ、やる気を喚起してくれる新しい展開が出現しないことへの焦り。将来的展望・・・
2009年の夏、 150号を3枚試みた。しかし、果たしてこれがDEEDS(行為)か?ただの絵ではないのだろうか?同じ立場で、すなわち、何もないことの具象的造形化ということでとりあえず3枚描いた。パンを手でちぎると、二つに割れた。断面は向かい合って何かを叫びあっている。それは自分の内と外とを取り巻くある種の状態とよく重なっていた。①はこうして生まれた。ただ、写生せず、可能な限り単純な行為に置き換えられるように。失われたノスタルジックな思いに駆られていたのだろうか、2が4という数字を連想させ、そこに①のように顔を描き込んだ。それはかなり個人的であり、あまりに具体的であるため、よいのか悪いのかわたしにはわからない。②13個に分かれたサツマイモ、それを最後の晩餐にしてしまった。しかし、これは、上から消されてしまった。③
①[bread broken into two pieces]
②[an apple cut into four pieces]
③[a sweet potato cut into thirteen pieces]
発表することへの躊躇、だが、ここではそれは通用しなかった。自らの評価の定まらない作品、いや認められない作品を他人に見せることの苦痛と犯罪性、妥協の産物として[thirteen holes and boxes]ができた。
2009年の夏、 150号を3枚試みた。しかし、果たしてこれがDEEDS(行為)か?ただの絵ではないのだろうか?同じ立場で、すなわち、何もないことの具象的造形化ということでとりあえず3枚描いた。パンを手でちぎると、二つに割れた。断面は向かい合って何かを叫びあっている。それは自分の内と外とを取り巻くある種の状態とよく重なっていた。①はこうして生まれた。ただ、写生せず、可能な限り単純な行為に置き換えられるように。失われたノスタルジックな思いに駆られていたのだろうか、2が4という数字を連想させ、そこに①のように顔を描き込んだ。それはかなり個人的であり、あまりに具体的であるため、よいのか悪いのかわたしにはわからない。②13個に分かれたサツマイモ、それを最後の晩餐にしてしまった。しかし、これは、上から消されてしまった。③
①[bread broken into two pieces]
②[an apple cut into four pieces]
③[a sweet potato cut into thirteen pieces]
発表することへの躊躇、だが、ここではそれは通用しなかった。自らの評価の定まらない作品、いや認められない作品を他人に見せることの苦痛と犯罪性、妥協の産物として[thirteen holes and boxes]ができた。
2008/07
名古屋
市民ギャラリー矢田
2008年8月、21mmの合板を円に近い不定形に裁断し、その上に、アクリル・ウレタン・シリコンの合成樹脂塗料で、腕の長さを生かし、大きな円に近い動きを繰り返すだけの色彩行為を行なった。作らない、しかし、むやみやたらにではない、神経、感覚によってコントロールされた「かたち」あるいは「世界」の出現を待つ。何も作らない行為が、どこまで純粋にかたちにできるのか、わたしは終始それにこだわった。
2006/10
名古屋
愛知県立芸術大学
きわめて単純な行為の連続のなかに、澄明な空気感を出せるのか?ポイントは息もつかずに一気に仕事をすること、その連続に集中力と緊張感を失わないこと。作らない、だけれど、絶えず自らをコントロールする。つねに画面全体のなかでいまどこで何をしているかを意識している。離れて全体を見渡すことをせず、行為が終了したときが作品の完成である。しばらくのブランクを埋めるために必死で描き続けたが、過去の行為の残像がよみがえりなかなか自由になれない。
2006/07
バンコク
シルパコーン大学
エッチング用紙に、合成樹脂塗料で空状のものを塗り、その上から、それを潰す。1枚は、「描かれた空」であり、もう一枚は「塗り潰された空」である。群青、黄、赤、(それに白)の3色の混色でできる中間色が展開する奥行きのある色の世界。結果ではあるが、色彩の輝きが生まれる、だが、いつまでもそこにはいない。
1997/09
札幌
アートスペース201
ギャラリーのなかに展示空間を作った。周囲をぐるりと回り、MUSEUMの扉を開けると、幅90cmの通路が渦巻状になっていて、最後、扉を開けると、中央の180cm四方の空間に行き着く。壁には何十枚かのドローイングやペインティングが埋め込んであり、壁面に同化している。紙に描かれた「作品」はそれ自体壁と切り離せず、絵でありながら壁であるように見える。最後、電ノコで壁を「作品」より大きめに裁断し、希望者に廉価で売った。
1997/07/27 - 2009/09/08
札幌
札幌芸術の森美術館
顔料の有する二つの本質を同時に意識的に前面に出すことを心がけた。つまり、色彩、物質である。床には石膏80袋と粉末顔料、壁にはDEEDS of COLORSを展示した。床は一辺30センチの正方形で分割し、幅3センチのダンボールで高さを作り、畦道で区切られたような無数の正方形の中に色のついた石膏を流し込む作業を続けた。
1996/11
札幌
アートスペース201
わたしのなかで絵画表現というものが解体しそうであった。「描いたもの」とそうではない諸々のものの境界があいまいになり、価値が錯綜していた。その状態をそのまま見せること、わたしはそれだけに意を注いだ。
1995/12
札幌
ギャラリーたぴお
ギャラリーのオーナーの竹田さんが、わたしに1週間、会場を提供してくれた。自分の存在を自分で確認したい要求だけでかろうじて静寂を維持しつつ長らえていることがあるが、当時、わたしはそんな状態であった。無気力ではなく、反対にやる気はあるのに、かたちが現われない。叔父に買ってもらった外国製の皮鞄、スピーカー、やかん、それらに1斗缶から流し込まれたシンナー系の溶剤、会場でセッティングすると、まもなくビルに入居していたテナントからシンナーの強烈な臭いの苦情が殺到し、間もなく片付けた。



















